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「2分の1成人式」とかいうこの上ない闇属性イベント

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こんにちは、あるるまです。

皆さんは「2分の1成人式」というイベントをご存知でしょうか?僕は今まで知らなかったんですけど、なかなかに闇が深くて香ばしいイベントだなとカルチャーショックを受けました。

2分の1成人式とは?

僕はこちらの記事で存在を知ったのですが

元小学校教員が挙げる、2分の1成人式を即刻やめるべき5つの理由

「2分の1成人式」とは、子どもが10歳を迎えた際に学校で行われる一つの式典のようですね。内容は学校によって異なるようですが、基本的には学校側や保護者代表が祝辞を述べたり、それに子ども側がお礼を述べるというものらしいです。

それだけを見れば何の変哲もないイベントなんですけど、学校というのは色んな子どもが在籍しているものです。そのため、2分の1成人式を行うことで、家庭環境があまりよろしくない子どもを傷つけてしまうのではないかという批判が各所で出ています。

例えば、虐待を受けてたり、片親だったり、まともに養育してもらってない子どもが挙げられるでしょう。彼らが親への感謝を抱いているかどうかは本人にしか分かりませんが、もし親に対して恐怖や怒りといったネガティブな感情を抱いている場合、2分の1成人式というのはなかなか辛いイベントになることが予想されます。

感謝を強制する人の心理

僕もあまり良い家庭環境で育ったわけではなく、どちらかというと親にはネガティブな感情を抱いています。もういい大人なのでそれを表立って表現することはありませんが、年端もいかない子どもであればそうもいかず、複雑な感情を抱えながら学校生活を送ることになるでしょう。

もちろん、その辺りに配慮してイベントを行う学校もあるかとは思うんですけど、中には親への感謝を強制するようなところもあるようです。子どもが親に感謝する様は一見美しく見えますが、それが強制されている場合は途端にカルト臭が漂い始め、なんとも熟成された腐臭が辺りに漂うのではないでしょうか。

そもそも、感謝というのは感謝する側が自発的に抱くものであり、強制されるべきことではありません。僕もよく「感謝しろ」だの「感謝が足りない」だのと言われますが、「感謝してほしかったらまずはそれ相応の行動と言動をしろよ」と思います。

感謝を強制する人は、愛情を強制する人と全く同じ思考回路ですね。自分が好かれてないという事実を受け入れることができず、暴力や脅迫といった抗いがたい手段に訴えて無理やり表面上の「好き」という言葉を引き出すようなものです。

そこに本質的な愛情はありませんし、特定の単語を機械的に述べているに過ぎません。そんなことは強制する側も当然理解していると思うんですけど、「手に入らないよりは表面上のものでも得たほうがまし」という考え方になるのでしょうか。

完全なる愚策なのに、未だにそういう行為は後を絶ちません。愚かだ。

感謝されたかったら、それ相応の人間になる必要がある

Appreciate you

感謝されたかったら、自分がそれ相応の人間になるしかありません。感謝だけでなく愛情やお金でもそうだと思うんですけど、誰かから好かれたければそれ相応の人間になるしかないし、お金持ちになりたい場合でも同様です。

個人的にはその辺に歪みを感じないでもないんですけど、現実的な手段がそれしかありませんからね。それが嫌だったら潔く諦めた方が色々と捗ると思うし、その姿が逆に清々しく映る面もあるんじゃないでしょうか。

人から感謝されたり好かれたりするのはなかなかに大変なことです。した方としては「これだけしてやったのに」という感情も芽生えますが、された方は数日で忘れてしまうことも珍しくありません

そもそも、自分がした行為が本当に相手のニーズを満たしたかどうかをまず考える必要があるでしょう。相手が求めてもいないことをしても感謝されるわけありませんし、相手が「してもらって当然」と思っていることも然りです。

すなわち、相手から感謝されたい場合、相手のニーズを的確に満たし、時にはそれを超えなければならないことになります。それってめちゃくちゃ難しいことだと思うし、そんなことができれば営業やマーケティングの世界でトップクラスにいけるんじゃないかなと思います。

感謝されるのを諦めるのも一つの価値観

なので、感謝されることは諦めて自分らしく生きていけばいいと思うんですよね。親だからって完璧な存在であるわけがないし、時には感情的になって子どもに酷いことを言ってしまうシーンもあるでしょう。

そういう時は素直に謝って自分の非を認めたらいいんじゃないでしょうか。相手が許してくれるかどうかは別として、子どもといえど人格を持った一個人には違いないので、礼を失した場合には謝罪するのが人間としてのマナーです。

個人的には、子どもだからといって子ども扱いしないでもいいんじゃないかなと思うんですよ。子どもだから大人だからといって一々対応を変える必要はないし、普通に接すればいいんじゃないかと。

確かに子どもは大人に比べると精神的に未熟な面がありますので、そこに法的な保護は必要でしょう。しかし、法律上で保護されてるんだからそれで十分でしょと思うし、それ以上の保護は時に傲慢になるんじゃないでしょうか

僕は子どもが苦手なんですけど、もし接する機会があれば敬語で話すかもしれません。大人でも精神が子どもみたいな人もいるので、年齢によって分ける意味をいまいち見いだせないんですよね。

よく、日本では子どもは親の付随物として見られるけど欧米では一個人として見られる、と言われています。前者の問題点は、成人する1分前までは親の付随物であるにも関わらず、成人した瞬間にそうじゃなくなるというアンバランスさではないでしょうか。

後者の問題点は、子どもでありながらそれ相応の人格や意見が求められることになるのかもしれませんが、どちらかというとその方が自然だと思うんですよね。精神が未熟なうちは失敗したり周囲と衝突しながら学べばいいと思うし、致命的なケースさえ防いでれば、あとは自由意志に任せた方が色々楽なんじゃないかと思います。

育児的にも教育的にも。

何をするにも余裕と自尊心が大事

多分、感謝を強制的に求めてしまう人は自分に自信がなかったり、自尊心が低いんでしょう。僕もそうだからよく分かるんですけど、自分に自信がなかったり、相手との関係を上手く築けてない自覚があるから執拗に求めちゃうんですよね。

でもまぁ、そうやって求めたところで手に入るわけがありません。欲しいという気持ちがあるのは自然ですが、物理的に手に入らないものをいくら求めても仕方ないでしょう。例えるなら、確率0%のガチャを引き続けてるようなものです。

そんな不毛な行為はやめて、ひとまずは自分の人生を充実させる方向に舵を切るのが良いんじゃないかと思います。自尊心というやつはそう簡単に上がってくれる代物ではありませんが、少なくとも得られる可能性がゼロのものを追い求めるよりはましです。

自尊心は本当に大事であり、これがあるかないかで人生が決まるんじゃないかと最近よく思います。僕は自分が発達障害であることを知ったり、こうやってブログを書くことでちょっとずつ自尊心を取り戻してるような気がするんですよね。

自尊心の取り戻し方は人それぞれですが、文章を書くというのはなかなか悪くありません。そういったセラピーも世の中にはあるみたいだし、文章を書いて自分を振り返るというのは精神に良い効果を及ぼすようです。

ただ、その際にアクセス数とか収益とかを気にしてしまうと台無しなので、その辺は無視することをおすすめします。いっそのことアクセス分析ツールを入れないとか、このブログみたいにコメント欄を閉鎖してSNSもやらないとか、そういった工夫もアリかもしれません。

自尊心の低い人が各種数字を気にしてもロクなことがありません。アクセスが伸びなかったら「やっぱり自分は駄目な奴だ」という感情に苛まれますし、場合によっては絶望して希死念慮に取り憑かれてしまうこともあるでしょう。

自分の心の安寧のためにやってることに対し、他人の興味を惹けるか否かなんて要素を持ち込むのは本旨ではありません。徹頭徹尾自分のためにやると決め、継続することこそが自尊心の向上に繋がるんじゃないでしょうか。少なくとも僕はそんな感じです。

自尊心というやつは下げるのは簡単だけど上げるのはめちゃくちゃ難しいという厄介な存在ですが、それでも一生付き合っていかなければいけませんからね。であれば、なるべく適切に効率的な関係を築きたいものです。

それでは。

このブログは、エックスサーバーを利用して運用しています。

-オピニオン

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